志摩の夜

研修が始まった。

列車の始発でこの土地にやってきたのだが昨晩の出張準備と軽い緊張であまり睡眠を取ることが出来なかった。そこに普段聞きなれない単語が並んだマニュアルの解説は優しい子守唄に聞こえてならなかった。

ヤバい気がした瞬間だった。一瞬、寝落ちしてしまったみたいだ。目を閉じた頭が右へ15度くらい傾いたと思う。すぐに気が付き睡魔を払拭させようと、自分を震い立たせたが周りの研修生の視線が気になった。誰かにきずかれてしまったか。気持ちに少し焦りが込み上げてきた。淡々と続くマニュアル解説のなか心の焦りは見透かしたように突かれていた。隣に座っていた梨花さんがにっこり微笑んでこっちを見ていた。「あたし見ましたよ。!」とでも言わんばかりのにっこり感。
俺は気を取り直して研修に向かった。


終業時間も過ぎ、予約されているビジネスホテルの一室にたどり着いた。今日から二週間の泊まり込みでの仕事である。プライベートでも有意義に過ごしたいと考えた俺は人生の潤滑油を楽しめる酒場を見つけようと夜の街へ出かけた。流行り病のせいなのか人をあまり見かけない通りに数件の電工看板を発見した。先ほどホテルのフロントで手渡された手書き風の案内と見比べながら一軒の居酒屋風の店の暖簾を潜った。


いつもの癖で店内をざっと見渡し終える間もなく女性の顔が飛び込んできた。ついでに「お疲れ様!」と口走っていた。梨花さんがすでに一人で飲んでいたのだ。升に入った酒が揺れている。
「どうぞ、、、」と細い指先に手招きされるままテーブルの真向かいに座った。彼女はほろ酔い加減みたいだ。自己紹介で出身が同じ方面だったと言うことを今日初対面であるはずの女性が醸し出すこの柔らかな緊張感が思いださせてくれた。

先陣を取られた。「今日は眠たかったわね。」と彼女が切り出した。そこに店員が箸置きに割りばしを置いた。俺はこの間を狙った。「彼女と同じ酒をお願いします。」「作、ですね」と一言いうと店員は下がって行った。企業の受付嬢でもしているか様な容姿の梨花さんは続けて、「全然わかないことばかりでした。私、大丈夫かしら。」
これから始まる仕事の行く末を案じてるのだと俺は察した。「俺も同じですよ」と返したが気の効いた返事が出来ない自分に早く喉を潤したい気持ちが重なった。微笑んだ彼女は作と言う酒が注がれた、おちょこに唇を突き出した。